アカンサス(国花)

オシオスルカス

オシオス・ルカスは、克肖者ルカスによって10世紀前半に設立された修道院である。ルカスは953年に死んだが、生前に東ローマ帝国の皇帝「ロマノス」によるクレタ島の征服を予言した。彼の予言はロマノス1世レカペノスを指したようであるが、クレタ島の征服は961年にロマノス2世によって行われ、これによってルカスへの崇敬が高まることになった。クレタ島制圧は、東ローマ帝国にとってエーゲ海制海権の奪回という重要な意味を持っており、バルカン半島沿岸地域におけるアラブ人の影響は、これによって著しく改善された。

アカンサス(国花)

オシオス・ルカス修道院

ギリシャ正教:正教会の修道院である。10世紀に設立され、中期ビザンティン建築の傑作と言われる聖堂と、11世紀に作成されたモザイクが残る。
生神女聖堂は、四円柱式内接十字型と呼ばれる中期ビザンティン建築の代表的な形式であるが、石材の水平・垂直方向をレンガで縁取るクロワゾネ積みの技法で形成される。さらに水平方向には、各層を区切るように犬歯飾りの蛇腹が横断しており、クーファ文字による装飾があしらわれている。このような装飾は10世紀から12世紀のバルカン半島南部に建設された教会堂に多数認められるもので、アッバース朝イスラーム建築の影響によるものである。 中央聖堂(カトリコン)は、複合型スクィンチ式教会堂と呼ばれる、内接十字型と並ぶ中期ビザンティン建築特有の形式である。
オシオス・ルカス修道院 オシオス・ルカス修道院 オシオス・ルカス修道院

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