ハス(国花) |
デリー1947年のインド独立以来、産業が急速に発達するとともに人口も急増した。現在、デリーはムンバイ、コルカタにつぐインド第3の人口を持つ大都市となっている。イギリス統治下の新しい首府としてニューデリーが建設された。イギリスの設計と建設による新都市部分をニューデリーと呼び、古くからある町をオールドデリーと呼んでいる。人口1086万5000人。 |
孔雀(国花) |
フマユーン廟 |
その建築スタイルはタージ・マハルにも影響を与えた。フマーユーン廟は、フマーユーンの死後の1562年、ペルシア出身の王妃ハミーダ・バーヌー・ベーガムが建築を指示し、伝えられるところによれば、サイイド・ムハンマド・イブン・ミラーク・ギヤートゥッディーンと父ミラーク・ギヤートゥッディーン二人の建築家によって8年の歳月を経て完成された。 |
インド門 |
インドのデリーにある慰霊碑。第一次世界大戦で戦死した兵士(約8万5千人)を追悼するために造られた。高さ42mのアーチには、第一次大戦で戦死したインド人兵士の名が刻まれている。東西に伸びるラージパト通り(Rajpath)により東端のインド門と西端の大統領官邸が結ばれている。永遠の火という火が灯されている。 |
ラクシュミーナーラヤン寺 |
大統領官邸 |
街 |
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クトゥブミナール |
奴隷王朝の建国者であるクトゥブッディーン・アイバクによって、クワットゥル・イスラーム・モスクに付属して建てられたものである。おそらくはヒンドゥー教・ジャイナ教の寺院などを破壊し、その石材を転用して制作されたもので、建築に携わった職人もヒンドゥー教徒であったと推測されている。そのため、ヒンドゥー様式とイスラーム様式が混在した様式となっている。 |